Cross 4






「忍足君。跡部君と別れたんだって?」

最後に跡部をマンションまで送ったその帰り。

どこでかぎつけたのか、千石が現れた。

まるで、ストーカーのように…背後から忍び寄るように…。

フワフワしたオレンジの髪が揺れる。

忍足は何も抵抗できないまま、千石に誘われていた。

「…自分には…関係あらへんやろ…」

ゴクリと忍足の喉がなる。

「関係ないとは心外だな。俺達…こんなに深い仲になってるのに?」

千石は制服の上から忍足の胸に手を置く。

「それとも…まだ…跡部君のことが忘れられない?」

くすっ。と千石は小悪魔のように笑みをこぼした。

それが、かえって忍足に恐怖を植えつけた。忍足の身体はふるっ。と震えた。

「寒い?なら…暖まろうか。…今日はどこがいいかなぁ……」

千石は周りを見渡し、品定めをしているよう。

十六時といってもまだ、人が行き交い、辺りは明るかった。

「あそこにしようか。いこう、忍足君」

場所を定めたのか、千石は忍足の腕を取り、引っ張っていった。

彼…――千石が選んだのは、公園。

公園の一角にある雑木林の中。

道に面してある林だったが、中に入れば、見つかりにくい。

二人はガサガサと音を立てながら、奥へと入っていった。

入っていったというか、千石に強制連行されている形だったが。

「ここなら、声を出してもわからないと思うよ。
俺さ、君を抱きたくてウズウズしてたんだよね。忍足君はどうなの?」

千石は忍足を後ろから抱きしめた。

「千石…もうやめてくれへん…こんなこと……」

忍足は覚悟を決めたように静かにつぶやいた。

千石の手がピクリと止まる。

辺りに張り詰めた緊張感が包み込む。

「…もう…十分やろ?俺の身体は…自分を受け入れたんや…
…自分の思い通りに進んでる…それでも…俺は…――」


――――跡部の事が…まだ好きなんや――…


忍足の目の淵から数滴雫がこぼれる。

「…思い通り…? 俺が……」

忍足の背後から自嘲的な笑みとともに漏れる千石のつぶやき。

いつもとは明らかに違う様子の千石。

気がつけば、背中の重みと気配は消えていた。

「千石っ?」

思わず、後ろを振り向いた忍足。

その場から離れようとした千石だったが、

忍足に呼び止められ、歩みを止めた。

「…じゃぁ……俺は何処へ…行けばいいのかなぁ……」

千石はつぶやくように小さな声で言葉を吐いた。

背中が泣いているようだった。

呆然としている忍足をほったらかし、千石はそのまま背を向けて歩き出した。


『…じゃぁ…俺は何処へ…行けばいいのかなぁ…』


その言葉が忍足の耳に強く残っていた。

しばらく、千石が消えた向こうを見つめながら、

その場に立ち尽くしていた忍足だった。




「侑士…」

向日は忍足の家の前にいた。意を決してのことだった。

どうしても聞きたい。どうしてもわからない。

あの二人――…忍足と跡部が別れたことが向日には信じられないことだった。

不穏な空気が流れていたのは感じ取ってはいたが、

まさか、ここまで発展するとは思わなかった。

二人を応援していただけに……。

願いとしては元に戻って欲しい。

「侑士…」

彼の親友、忍足の顔から笑顔が消えた。

もともと、向日みたいに表情が豊かではない忍足だが、

跡部と付き合っていたときは幸せな笑顔があった…。

それが最近になって見なくなった。

表面上では『普段の忍足』を演じていることを向日は痛いくらい分っていた。

だから、余計に辛かった。

あんな幸せな親友はみたことがなかった。

親友だから、幸せになって欲しいと願う。

それが、向日の望みであり、願いでもあった。



それぞれの想いがそれぞれに交差し、すれ違っていく。

一つの過ちがたくさんの過ちへと変え…て…

そして――…



千石は忍足と別れた後、何処へ行くあてもなく、さまよっていた。

フラフラと中身が身体から抜けたように、歩いていた。

「千石」

名を呼ばれた…。千石は気づかない。

「千石!」

再び、呼ばれた。少し怒気が含まれている。

肩をつかまれて、歩みが止まる。

そこで初めて、千石は意識を戻した。

現実の世界に……。

よく見ると、そこには同じテニス部の【亜久津 仁】と【壇 太一】がいた。

「何、てめぇ、辛気臭ぇ〜面してんだ?」

迫力のある亜久津の顔。千石には見慣れた亜久津の普段の顔。

「え、俺、そんな顔してた?」

いつもと同じ、ニコニコと笑みをこぼし、とぼける千石。

さっきまでの顔が嘘のよう。

「いい加減にしやがれ、てめぇのそんな薄い仮面なんかみたくねーんだよ」

ボコッ

場所は人通りが多い通り。

突然、学生の一人が殴り、殴られた方が地面に吹っ飛んだ。

周りの視線が集まった。

「亜久津先輩、ここじゃ目立ちすぎますです!」

亜久津は千石の腕を掴み、三人はその場から姿を消した。

少し離れた、路地裏。千石は亜久津に殴られた頬をさすっていた。

「ひどいなぁ〜いきなり殴るなんて、聞いてないよ…」

「それよりも目醒めたんだろうな?」

亜久津の言葉に怒りが含まれているのを千石は感じ取っていた。

しかし、千石には何故、亜久津が怒っているのか分らない。

心配するなら、同じテニス部の【南】辺りでもいいと思うのだが。

「俺にはよく分からないんだけど、この状況……」

「っやろ……」

もう一度、殴ってやろう気満々の亜久津を太一が止めた。

「千石先輩。亜久津先輩は心配しているんです」

キョトンとする千石。それを聞いて赤くなる亜久津。

「へぇ〜亜久津が心配ね……それも俺を?」

以外という風に千石は口を吊り上げた。

「嬉しいけど…迷惑だよ。俺のことはほっといてくれないかな…」

千石はこれ以上見たことのない冷たい瞳を二人に向けると、そのままどこかへいった。

「千石先輩っ!」

ただ、太一の声が静かに辺りを包むだけだった。




向日は忍足の家にいた。

まだ侑士は帰ってきてはいないということで、また出直そうと思った矢先。

忍足が帰ってきた。

いきなりの訪問者に忍足も驚いてはいた。

部屋に通し、飲み物も持ってきて、誰も部屋に入らないように家族に念を押した。

向日の顔を見て、あの話だと忍足は悟ったから。

グラスに入れられた、ジュースを向日は一口、喉を潤すように飲む。

ゴクッという音がリアルに二人の耳を通った。

「侑士……聞きたいことがあるんだけど……」

向日は怖かった。聞きたくない。

目の前の親友がどんな言葉を吐くのか。

もし、自分が思っているような答えが返ってきたら、…それが怖い。

確かに関係ないのかも知れない。それでも…。

「跡部のことやろ?」

そんな向日と対照的に忍足は、しれっと口にした。

大方予想していたかのように。

「…跡部と別れたって…本当…なのか…?」

いつもより声が震えてる気がする。

向日は自分でそう感じていた。


「本当やけど、それがどうかしたんか?」

淡々と話す忍足。段々と向日は怒りが込みあがってきた。

別れたらそれで終わり。

もう関係ないとばかりに何の感傷もない忍足の話し方。

向日には忍足が楽しそうに跡部のことを話す顔を知っている。

好きで好きでたまらなくて、

相手も同じ思いだったのを知ったときの彼の顔も知っている。

跡部のテニスプレーを熱い視線で眺めていたのも知っている。

親友として、向日は知っている。

それが本当だったと思っている。

それなのに、今、目の前にいる忍足は…どうでもいいように話す。

むしろ、もう関係ないように。

それが、向日には許せなかった。

「侑士、どうして?あんなに跡部のこと好きだったじゃん。
なんで、そんなに冷静にいられるんだよ!まだ、跡部のこと好きなんだろう?」

向日は思わず立ち上がっていた。

胸が痛い。

やるせない。

こぶしが少し震える。

「…もう跡部とは恋人とちゃうで。
どんな結果にせよ、俺と跡部は別れたんや……
話はそれだけなら…悪いやけど、帰ってくれへん?」

忍足は静かにそういった。

ひどく冷たい声。

向日は思わずゾクッと震えてしまったが、これ以上は無駄だと思った。

部屋のドアノブに手をかける。

「…侑士、跡部のこと…もう嫌いになった?」

忍足の背中をみつめながら、向日はいった。

一瞬の沈黙。

「…嫌いや…」

そう言った。

ガチャリとドアの開く音が聞こえ、バタンと玄関の閉まる音が聞こえた。

「嫌いや……嫌いなんや……跡部なんか……」

ポツッと忍足の手を濡らしていた。



忍足の家を飛び出した向日は、早歩きから徐々にゆっくりな歩きになると、

しばらくして、立ち止まった。

「侑士の馬鹿……」

グズッと鼻をすすり、後ろを振り返った。

胸が痛かった。まだ痛い。

悲しくて、切なくて、何かポッカリと穴が開いたような感覚が向日を襲った。

好きだった人なのに、別れたら終わり。そんな考えが悲しく思えた。

「何で…俺が泣いてんだよ…これも侑士のグズッ…せいだ…」

しばらく、向日はその場で泣き止むまで立ち尽くしていた。




つづく